長く暮らしたシドニーを最後に、さよならをして、パースに向かった。
チャイナタウンの家を朝早く出たら、初めてシドニーに来て、それから2週間、ブロードウェイにあるバッパーから英語学校に通っていた頃を思い出す。
セントラルステーションの目の前、まだ朝の7時前だというのにピットストリートには既に通勤するたくさんの人の群れがあった。同じくセントラルのバス停前では、たくさんの学生がそれぞれの学校行きのバスが来るのを待っている。
あふれかえる待ち人、行き交う人々。昇ったばかりのまだオレンジ色の太陽…まぶしい光が本当に懐かしかった。3月にシドニーに来たばかりのとき、他人から見たら自分もこの風景の中にいるのだと思い心が高ぶった。それは日本にはない、夕暮れ時に生活が始まるような、とっても不思議な光景だったから、まるで美しい外国の街の絵の中に自分が描かれているような、そんな感覚だった。タウンホールへと向かうピットストリートの坂は、シドニーで生活を始めた自分の原点だと思う。
セントラル駅から、ドメスティック(国内線)エアポートへ。この駅、何回かしか利用はしなかったけれど、日本のよりひとまわり大きい電車の車両や、落書き、シンプルすぎるホームとか、まさに「外国」という感じで、写真に収めた。
電車に乗ると、大きな荷物を持っているのは私たちだけではなかった。カナダの国旗が刺繍してあるバッグを持った中年の白人夫婦、パックパックを降ろして傍らに置き、熱心にオーストラリアのガイドブックを読んでいる学生らしき白人の青年。日本でいう、京急の羽田空港行きの風景だ。
シドニーのドメスティック空港に着いた。パースへはバージンブルーという国内専門の航空会社のチケットで行く。片道たった$180。ロビーにはたくさんの人。入口のすぐ近くまでも人が並んでいて、早めに家を出たつもりだったがこのままだと搭乗時間に間に合うのかどうかさえわからないくらい人があふれていた。
...to be continued
チャイナタウンの家を朝早く出たら、初めてシドニーに来て、それから2週間、ブロードウェイにあるバッパーから英語学校に通っていた頃を思い出す。
セントラルステーションの目の前、まだ朝の7時前だというのにピットストリートには既に通勤するたくさんの人の群れがあった。同じくセントラルのバス停前では、たくさんの学生がそれぞれの学校行きのバスが来るのを待っている。
あふれかえる待ち人、行き交う人々。昇ったばかりのまだオレンジ色の太陽…まぶしい光が本当に懐かしかった。3月にシドニーに来たばかりのとき、他人から見たら自分もこの風景の中にいるのだと思い心が高ぶった。それは日本にはない、夕暮れ時に生活が始まるような、とっても不思議な光景だったから、まるで美しい外国の街の絵の中に自分が描かれているような、そんな感覚だった。タウンホールへと向かうピットストリートの坂は、シドニーで生活を始めた自分の原点だと思う。
セントラル駅から、ドメスティック(国内線)エアポートへ。この駅、何回かしか利用はしなかったけれど、日本のよりひとまわり大きい電車の車両や、落書き、シンプルすぎるホームとか、まさに「外国」という感じで、写真に収めた。
電車に乗ると、大きな荷物を持っているのは私たちだけではなかった。カナダの国旗が刺繍してあるバッグを持った中年の白人夫婦、パックパックを降ろして傍らに置き、熱心にオーストラリアのガイドブックを読んでいる学生らしき白人の青年。日本でいう、京急の羽田空港行きの風景だ。
シドニーのドメスティック空港に着いた。パースへはバージンブルーという国内専門の航空会社のチケットで行く。片道たった$180。ロビーにはたくさんの人。入口のすぐ近くまでも人が並んでいて、早めに家を出たつもりだったがこのままだと搭乗時間に間に合うのかどうかさえわからないくらい人があふれていた。
...to be continued
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by mikey_t
| 2009-02-06 02:36
| 旅行